「USDAA会長ケネスタッシュ氏のレポート」

競技会で誰が尊敬を得るのか? Kenneth Tatsch
2005年5月28日

グランプリ・リージョナル・チャンピオンシップのシーズンの真最中だが、世界各地での競技とスポーツマンシップを見てみよう。日本では、ハイレベルの競技と共に、スポーツマンシップが際立っている。敗れて尊敬を得ることは、勝つことよりも価値あることとなり得るのだろうか。



5月に日本で開催されるチャンピオンシップは、2005年11月9日から13日にかけて、アリゾナ州スコッツデールで開催される、USDAAドッグ・アジリティ・クランプリへ向けたリージョナル・チャンピオンシップのシーズン到来を告げるものである。これから数ヶ月間、こうしたリージョナル・チャンピオンシップが、アメリカ各地とカナダで6回、メキシコで1回開催され、多くの競技者たちが11月のチャンピオンシップにより熱心に焦点を合わせるようになる。

昨年は、9カ国から約600人の競技者がグランプリに出場したが、今年のグランプリも同様の盛り上がりを見せるだろう。今年は、来年オランダのOosterhautで開催される、IFCSワールド・アジリティ・チャンピオンシップの選考の年でもあるため、競技が激しいものになることは間違いない。この数ヶ月間に、更に6カ国からUSDAAのイベントに興味が示されたが、海外でも同様に、競技会は激しいものとなるだろう。2005年のグランプリ・チャンピオンシップへの勢いは増しつつある。そして2005年のグランプリ・チャンピオンシップは、ドッグ・アジリティ・スポーツに対して人が予想できるあらゆるもの、そしてそれ以上のものとなるだろう。

日本でのグランプリ・チャンピオンシップでジャッジをつとめ、戻ってきたばかりだが、私はその競技の激しさと、プロフェッショナリズムを思い起こさずにはいられない。クウォーターファイナルからセミファイナルへ、そしてファイナルへと進むにつれて、競技はより激しいものとなり、競技の質も上がっていった。グランプリ・シリーズに4年前に参加して以来、その進歩を見てきたが、日本の競技者たちは明らかに、ドッグ・アジリティにおいて、世界の中でも最も能力が高いと言えるだろう;しかし、それにも増して、スポーツマンシップという点において、他の全ての人びとより際立っている。今回、何故このことが私の関心をひいたのかはよく分からないが、しかし、競技者は、競技に参加し、審査を受ける機会に対して感謝の意を示すという点において模範的であり、そのような日本でジャッジをつとめることは、大きな喜びである。私は、他の場所でジャッジをつとめる際にも、同じように感謝を示されるが、日本でのイベントは何かが異なっているのだ。

彼らがグランプリに参加した最初の年、私は彼らの熱意を感じることが出来た。選手たちは礼儀正しく、犬たちは清々しかった。グランプリは彼らにとって新鮮なものであり、選手たちは落ち着きの中にも興奮を滲ませていた。4年が経ち、グランプリが彼らのプログラムの中にしっかりと定着した今、競技における彼らの強さは増している。そして彼らは、精神においても模範的であり続けている。全ての競技者が全力を発揮し、力が及ばなかった時でも、その機会を楽しむことが出来たことに対して感謝の気持ちを示す。この時、チャンピオンシップに特有の熱狂はもちろんあるのだが、競技に失敗した時に、いかなる形であれ、競技者がフラストレーションを示すことはないため、ピリピリした緊張感が感じられないのである。

日本のチャンピオンシップでも、犬やハンドラーのミスにより、拒絶やコースミスが起きることがある。しかし、そのような場合でも、犬に対して即座に熱意を示すリアクションを取り、観客も、出来る限りのプレーをしたペアに対して喝采を送る姿を目にすることが出来た。私はこれまでに、USDAAだけではなく数多くのイベントを訪れてきたが、アメリカや他の国々で、同じようなスポーツマンシップを目にすることができただろうか。残念ながら、他の地域では、滞在期間中に、自分自身や犬たちに対して、フラストレーションを示す競技者たちも見られた。それは、全ての組織が眉をひそめる行為だが、しかし、まるで自慢することでもあるかのように、一般的になりつつある。

私は、日本ではいかなる形であれ、公の場でフラストレーションを示すことは、弱さの現れとされると聞いたが、ここに学ぶべき教訓があるのかも知れない。この原則を理解すれば、そうした行為を脱し、前向きに次の機会を目指すことができるだろう。確かに、私が日本で見てきたことは、我々がみんな努力しなければならない目標である。世界中で競技者たちは、「ミスはいつもハンドラーの側のミスである」という哲学を口にするが、日本では、競技者たちがこの哲学を受け入れているだけでなく、コースでのミスは、犬のミスではなく自分自身のミスであることを本質的に理解していることが明らかである。彼らはそれをリップサービスで言っているのではなく、それを実践しているのだ。

勝利は、グランプリに参加する日本人にとってあらゆることを意味するということが、私の言うことをより際立たせている−日本人の競技者にとって、チャンピオンシップには多くがかかっている。各クラスの入賞者のみに、日本からアメリカへの遠征のための後援が、クラブから提供されるのだ。このことを理解すると、私の見てきたことの意義がよりよく理解できるだろう。彼らが他の地域の競技会に出ることは現実的に難しいため、チャンピオンシップには多くがかかっており、そこでシーズン全体が失われてしまうこともあり得るのだ。もちろん、勝者たちの精神も同様に際立ったものである。彼らは非常に素晴らしく、喜びを表しつつも謙虚である。

まるで問題とはなり得ないとでも言うかのように、スポーツマンシップが公に扱われることはほとんどない。我々は、いかなるスポーツイベントでも、犬が関係するものであってもなくても、スポーツマンシップが時には、決して単なる理想ではないことを知っている。我々は、オリンピックよりも身近なところに目を向ける必要がある。そうすることによって、我々は、アジリティがどこで行われようと、競技で成功するためだけに努力するのではなく、最高レベルのスポーツマンシップのために競技することを誇りに思う為に、努力することができる。その時、我々はみんな、勝敗にかかわらず、尊敬に値する存在になれるのである。

このレポートはUSDAAのHPに記載されたものです。

翻訳;森実 麻子様